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ヨーロッパ鉄道の旅18日目その5:ローマ(Rome)市内観光。フォロ・ロマーノ(Foro Romano,Roman Forum)からコロッセオ(Colosseo, Colosseum)
ポルティコ・ディ・オッタヴィア(il portico d'ottavia)とマルケス劇場(Teatro di Marcello)を抜けて、やや北側に見える巨大な白い建造物ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)へと向かいます。
この記念堂の基礎の部分はこれまた遺蹟っぽい建物ですねぇ。なにかの遺跡の上に建てられたのでしょうか??っと思って見上げてみると教会がありました。サンタ・マリア・イン・アラコエリ教会(Santa Maria in Arakoeri)といって、内部は結構立派なようです。が、今回は時間もないのでパス。
ふと右手をみると、長―い階段とその奥にある特別そうな建物を発見。ここはローマにある古代ローマ時代の7つの丘(ローマ七丘)のひとつで、カンピドリオ (Campidoglio)とよばれるそうです。ローマ七丘の中でも最も高く、ローマの中心だったそうです。で、その丘の上にある建物がローマ市庁舎(Comune di Roma)なんだそうです。ってことで今もローマの中心として機能しているんでしょうねぇ。
長―い階段を使ってさっそく丘を登ってみましょう。
階段をのぼりながら左手を見上げると、ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)とサンタ・マリア・イン・アラコエリ教会(Santa Maria in Arakoeri)がそびえ建っています。ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)は遠くから見るととっても目立って立派な建物なんだそうですが、歴史上はあまり重要でないそうです。シルビア曰く、自己満足か何かのために建てられたそうです。ってことで今回は素通り。
階段を登りきるとカンピドリオ広場(Piazza del Campidoglio)が広がっています。ミケランジェロが設計したそうです。その奥にローマ市庁舎(Comune di Roma)が。控えめな豪華さを感じますね。
カンピドリオ広場(Piazza del Campidoglio)からローマ市庁舎(Comune di Roma)の隣の通りを抜けて進むと、その奥には巨大な遺跡が広がっていました。
ここがフォロ・ロマーノ(Foro Romano、Roman Forum)といって、古代ローマ時代の初期の町が栄えていたところなんだそうです。ここからはじまった町がいずれヨーロッパ中を支配するようになるわけです。そう思うと、なんだか歴史上ものすごく重要な位置に立っている気がしてなりません。当然、世界遺産に認定されています。
中にはいくつかの凱旋門が建てられています。戦争に勝利した記念に建てられていたそうです。これはセプティミウス・セウェルスの凱旋門(Arcus Septimii Severi、Arch of Septimius Severus)でしょうか?その造りの素晴らしさを一番近くで実感できる凱旋門だと思います。
結婚式の前撮りの場所としても有名なようです。
このフォロ・ロマーノ(Foro Romano、Roman Forum)の周りにも別のフォラムがあります。王が変わるとそれぞれ自分独自のものを作っていたらしいです。フォロ・ロマーノ(Foro Romano、Roman Forum)の西側にはフォリ・インペリア通りという大きな道路が通っているのですが、その道路の反対側にあるトラヤヌスのフォルム( Forum Traiani、Trajan's Forum)にはショッピングセンターのような建物があったそうです。1階が食品、2階が服みたいな感じで。ちなみにこのフォリ・インペリア通りはコロッセオ(Colosseo, Colosseum)へと続く大通りで、ムッソリーニがフォラムを分断して作らせたそうです。
さて、そのままコロッセオ(Colosseo, Colosseum)へと向かいましょう。コロッセオはフォロ・ロマーノ(Foro Romano、Roman Forum)のすぐ東側にあるのですが、これまたでかさがハンパナいです。目の前にそびえる巨大な円形の遺跡は迫力満点。
すぐそばにはコンスタンティヌスの凱旋門(Arco di Costantino)という世界遺産に登録されている遺跡もあります。
ここらで雨が強く降ってきたので、今日の観光はここまで。メトロで宿に戻って本日のガイド役のシルビアとお別れ。一日で結構見て周ったなぁ。シルビアには感謝感謝です。
今夜はテルミニ駅近くの別の宿に泊まるので荷物をもって移動。移動にはメトロを使ったのですが、混みまくっていてかなりきつかった・・・。クタクタになりながら宿に到着。今回の宿は比較的簡単に発見できました♪若者に人気なホステルのようでレセプションには多くのバックパッカー達が今夜の宿を求めてやってきていました。ここはキッチンはないのですが、barが併設されています。しかも宿泊につきウェルカムドリンク付き。とりあえず、近くのスーパーで晩飯の食材を調達しに行って戻って来ると、なんと、リスボンで一緒だった韓国人のチェリーと偶然にも同じ宿(驚)話を聞くと、リスボンで別れたあとバスでスペインのセビーリャに行って、そこからマドリッド→バルセロナ→フランスのニース→ローマみたいなルートをたどってきたそうです。今日はポンペイのガイドツアーに参加してきたのだとか。次はヴェネチアのカーニバルを見に行くらしい。ヴェネチアにはコリアン宿があって一泊32ユーロぐらい?で食事付きなんだそうです。カーニバル中にしてはお得ですね。 そんなこんなでチェリーと近況報告したり、ネットしたり、洗濯したりして12時ごろに就寝。
ヨーロッパ鉄道の旅19日目へつづく。
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2011/03/01 (Tue.) Comment(0) イタリア
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ヨーロッパ鉄道の旅18日目その4:ローマ(Rome)市内観光。ポルティコ・ディ・オッタヴィア(il portico d'ottavia)とマルケス劇場(Teatro di Marcello)
パンテオン(Pantheon)やサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo、Castle of the Holy Angel)を見てまわった記事はこちら。
前回の記事の最後の黄色っぽい建物はどうやらユダヤ人のシナゴークのようです。そこから歩みを進めることすぐに、遺跡跡地に到着。ポルティコ・ディ・オッタヴィア(il portico d'ottavia)という紀元前27年から23年にかけて建てられたアウグストゥス帝が妹に捧げた建築物なんだそうです。
この建物は一度火災かなにかで倒壊したそうですが、現存のものは203年に再建されたものなんだそうです。っていっても今にも崩れそうですね。鉄の足場が組まれているという事は、倒壊しないように補修工事が行われているんでしょうか??
ふと気がつくと遺跡が建てられている高さと、現在の建物が建てられている土地の高さが違っています。昔はもっと低い位置にあったそうですが、地震か何かで地面が上がったそうです。
円柱の遺跡を横目に見ながら遺跡の間を進んで行くと、前方にマルケス劇場(Teatro di Marcello)が見えてきます。
マルケス劇場(Teatro di Marcello)は紀元前13年の共和政ローマ末期からローマ帝国初期にかけて建設された古代の屋根のない劇場で、演劇や歌などの上演をローマ市民や旅行者が観覧できたそうです。そんな昔にこんな立派な建物が建てられていたなんて、ほんと信じられません。
一部は真っ白な外観をしています。ここが凝灰岩で作られたオリジナルな部分でしょうか??
一部は補修されていています。補修部分は一目瞭然ですね。
マルケス劇場(Teatro di Marcello)のすぐそばには比較的きれいな状態で残っている3本の円柱がそびえ建っています。なんの建物の一部でしょうか??まわりのレンガ作りの遺跡があるので何かの建物の一部だったんでしょうねぇ。
遺跡を通り過ぎた先にある大通りからのマルケス劇場(Teatro di Marcello)の全景。かなり大きな建物ですね。直径は111mもあって、収容観客数は当初1万1000名だったそうです。
さてここからは何処に向かいましょうか。南方向に見える茶色の建物はかの有名な「真実の口」があるサンタ・マリア・イン・コスメディン教会(Santa Maria in Cosmedin)です。が、時間的に真実の口観光は厳しそうだったので、パス。
ってことで反対の北方向へ行くことに。前方の見える巨大な白い建造物はヴィットーリオ・エマヌエーレ2世記念堂(Monumento Nazionale a Vittorio Emanuele II)という1870年のイタリア統一の立役者、初代国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の偉業を称えて建てられた記念堂なんだそうです。
とりあえずそっち方面に向かいましょう。ふと気がつくと左に崩れた壁、右に崩れかけた土壁。どちらも遺蹟っぽく見えてきますねぇ。
ヨーロッパ鉄道の旅18日目その5につづく。
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2011/03/01 (Tue.) Comment(0) イタリア
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ヨーロッパ鉄道の旅18日目その3:ローマ(Rome)市内観光。パンテオン(Pantheon)とかサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo、Castle of the Holy Angel)とか。
バチカン市国(Vatican City)のサン・ピエトロ大聖堂(St. Peter's Basilica)のドーム(クーポラ)に登った時の様子はこちら。
バチカン市国(Vatican City)からローマ(Rome)に戻って、コンチリアツィオーネ通りをまっすぐに進むと、すぐに目の前にレンガ作りの要塞みたいな建物が目に飛び込んできます。
なんでしょ???っと思って見に行ってみると、「MUSEO NAZIONALE DI CASTEL SANT’ANGELO」と書かれています。
何かな??っと思って調べてみたら「サンタンジェロ城」というお城で、、ローマ帝国の皇帝でいわゆる「五賢帝」のひとりハドリアヌスが自らの霊廟として建設を開始し、アントニヌス・ピウス治世の139年に完成した建物なんだそうです。その時代時代によって要塞や牢獄、避難所などとして使用されていたようです。現在は博物館になっています。
皇帝ハドリアヌスといえば『テルマエ・ロマエ』に出てきたあの皇帝ですね。っていうかあれはフィクションですけどね(笑
中を見てみようとも思ったのですが、サン・ピエトロ大聖堂(St. Peter's Basilica)だけで頭がパンク状態だったのでパス。そうそう、このサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo、Castle of the Holy Angel)とサン・ピエトロ大聖堂(St. Peter's Basilica)は秘密の通路でつながっているそうです。両方の建物を要人達がこっそりと行き来していたんでしょうか??
サンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo、Castle of the Holy Angel)の前には雰囲気のある白色の橋がかかっています。サンタンジェロ橋(ponte Sant'Angelo)というそうです。橋の上には、ベルニーニ自作の2体を含む10体の天使像の彫刻で飾られています。
サンタンジェロ橋(ponte Sant'Angelo)の途中からのサンタンジェロ城(Castel Sant'Angelo、Castle of the Holy Angel)の眺めが素敵。
対岸に渡って、川沿いに少し進むと、白い立派な建物が。「Court of Cassation」と言う名前のようです。ローマの裁判所でしょうねぇ。イタリア名は「Corte suprema di cassazione」です。威厳があって立派な建物ですねぇ。
そこから南方向へ。振り返ってみてもローマの裁判所(Court of Cassation、Corte suprema di cassazione)の存在感がすごいです。
ローマ市街の路地を横目にしばらく歩くと・・・、
今度はナヴォーナ広場(Piazza Navona)という場所に到着。紀元1世紀に造られた競技場が元になっているそうです。日本人がいっぱい。
中央にはオベリスク・Fontana dei Quattro Fiumiがあります。シルビアが言ってた古代エジプトの記念碑でローマに12本か13本あるってやつの1本ですね。後ろに見えるのはサンタンニェーゼ・イン・アゴーネ(Sant'Agnese in Agone)という教会です。
オベリスクの下は南国を思わせる立派な噴水。四大河の噴水というようです。
このナヴォーナ広場(Piazza Navona)には、その他にムーア人の噴水やネプチューンの噴水といったいくつかの噴水があります。これはネプチューンの噴水かな??タコに槍を刺そうとしているし。
ナヴォーナ広場(Piazza Navona)を取り囲むようにホテルやレストランが並んでいるのですが、そのなかのショーウィンドウの中にカラフルに絵が描かれた食器セットが展示されていました。この地域の有名な食器でしょうか??とってもおしゃれですね。
ここから歩いて数10mでパンテオン(Pantheon)に到着。観光名所がひしめいていますねぇ。徒歩で色々見て回れます。
このパンテオン(Pantheon)の前にもオベリスクが。本日3本目。この勢いで13本すべて発見できそうです(笑)パンテオン(Pantheon)の壁にはピストルで撃たれたような無数の穴がありますが、これは昔、メタルが高価だった時代に、中のメタルを盗むためにあけられた穴なんだとか。貴重な遺跡なのに残念ですね。
このパンテオン(Pantheon)は2代目で、再建したのは皇帝ハドリアヌスなんだそうです。あの『テルマエ・ロマエ』の・・・。ってあれはフィクションですね(笑
1900年ほど前に建てられたとは思えないような豪華な装飾。ラファエロの墓もここにあります。
天井も立派。自然光が差し込んで、神秘的な明るさを演出しています。こういうのを見ると、この1900年間であまり技術の進歩がないような気がしなくもないですね・・・。ちなみにこのパンテオンは直径、高さともに43.2mだとか。今みたいな科学技術がない時代によくこんな建物を作れましたねぇ。
このパンテオンからさらに南へしばらく進むとカンポ・デイ・フィオーリ広場(Campo de' Fiori)という広場があります。ローマで一番有名な朝市が開かれる場所なんだそうです。・・・が、訪れた時はマーケットの開かれた面影がなんとなく残っている程度でした。まぁすでにお昼をまわっていましたからね。
近くにあった黄色のこの建物はなんでしょう??何の建物かチェックするのを忘れたけど、これも特別そうな建物ですねぇ。
ポーランド人シルビアのローマ案内はまだまだ続きます。
ヨーロッパ鉄道の旅18日目その4に続く。
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2011/03/01 (Tue.) Comment(0) イタリア